トイボブの歴史

トイボブは、1983年エレーナクラシニチェンコから始まり、ロストフ地方、ウラル地方の2つの拠点からなる歴史があることにふれておいたほうがいいでしょう。

トイボブの歴史_ロストフ編

Erena

トイボブブリーダーと、『KUTS』というキャッテリィーのオーナー
(写真筆者提供)
ロシアにおけるネコ学の歴史概要
トイボブ:誇張せずステキな品種

2015年。また国際的猫の展示会から帰ってきた。いつものように、娘が挨拶の代わりに「見せて、見せて!メダルと賞杯を!早く壁に貼って眺めよう!」と言う。トロフィーを取り出す。各展のメダルは一つ一つ違う模様で作られている。賞を貼ろうとしたら、最初のメダルが目につき、頭の中で思い出が浮かび始める・・・。


歴史の全てはどう始まったか

1983年ソビエト ロストフ・ナ・ドヌ市
外でシャムであると思った野良猫を拾い、家に連れてきた。げっそりしており、汚れている病気っぽい雄猫だった。ミシカという名を付けた。顔が大きく、性格が激しかった。少し短そうなしっぽは4箇所で骨折していた。当時、ネコ学にはあまりにも詳しくなかった。しかもソ連はまだ発展していなかったので、ミシカが立派な純潔種のシャムネコであると思っていたのだ。ただシャムのようなカラーだったにすぎないことがわかったのは何年も後になってであった。
1985年1月雪の多い寒い冬だった。母は仕事から家へ向かう途中で、突然上から何かが胸に落ちて、ゴロゴロと喉を鳴らした。「なにこれ?本当に猫なの?」と母は一瞬に思った。本当に猫で、そればかりか、普通の猫ではなく、シャムだった。だが、なんか体が小さく、しっぽも変だった。母は「素晴らしい!ミシカに妻を見つけた」と思い、懐に入れて走って家に帰った。
猫ちゃんをじっくりと検査した。頭が小さく、体が細い。触ると、骨が数えられるほど突き出ていた。そして、しっぽは面白いくるくると巻いているような形をしていた。いろいろな名前を列挙するときに、「シムカ」と呼ぶと、家族の中に飛び込んできた猫は、はっきりと「ニャン」と鳴いた。
とても仲良くなった2匹は幸せな日々を送り始めた。本当にお互い好きになったようだ。交尾期が来て、その結果、かわいい子猫が生まれた。立派なシャム猫を飼いたい知り合いがたくさんいたので、数年の間、子猫をプレゼントとしてあげていた。
1988年シムカはまた子猫を3匹産んでくれた。一匹は兄弟より二倍小さく、しっぽも短いというか、しっぽの代わりに可愛いらしいポンポンしかなかった。今まで見たことないものだった。前に生まれた猫は長いしっぽ、短いしっぽ、いろいろな方向へ曲げたしっぽなど、様々な形があったが、このようなちっぽけなしっぽは初めてだった。だから、名前を選ぶ時に全然迷わなかった。KUTS(ロシア語はクツィイと読む)と名付けたのだ。(ロシア語で「しっぽが切った状態、ボブテイル」と意味する。)

子猫たちは成長していたが、そのチビちゃんが成長するのがかなり遅くて、まだまだ二倍くらいに遅れていた。大きさが違っただけでなく、容貌も全く違っていた。巨大で丸い目、ほとんど四角い体。振る舞いや行動もどちらかといえば、猫らしくなかった。

私と一緒に道を歩いており、少しだけ先駆し、「俺、いい子、おとなしい子だね。遠く行かないし。褒めてよ!」と言わんばかりに、忠なる目で見るようにしていた。私たちのそばを通 っている人の中で「ワンちゃん、何の品種ですか」と聞かない人が一人もいなかった。猫であると知ったら、あまりにも驚いていた。猫は猫なんだが、品種は?
1989年初めて猫の展示会に行った。クツィイももちろん初めて。ウェルカムスピーチから主催者はウクライナのドニプロ市から来たことがわかった。(その後、彼らは「アリサ」という猫の愛好会を作り、ロストフ・ナ・ドヌ市で広告の展示を催すのを手伝っていたわけだ。)

ルールも発表された。まず、展示会の来客が好きな猫に自分の入場券あげなければならないルールがあった。それで、2日間の展示の結果で入場券が一番多い猫が勝利を収めるということだった。それに、この2日間にわたって、猫の審査とその品種の決定を行う予定だった。とうとう私たちの番が来た。最初に、品種を決めなければならない。ジャッジはくすくす笑ってひそひそ話して、クツィイがシャムのミニネコであると主張した。

ジャッジは猫の品種の百科事典全体を調べたが、この名前を持ってる品種を見つけられなかったようだ。でも、誰かが生年月日が間違っているのでクツィイはまだ子猫、ミニではなく、普通のシャムの子猫だと推測した。このように、私たちは最初の審査を受けた。
1989
1990年10月27〜28日に、2回目の展示会に参加した。でも、また「なぜ子猫を連れてきたのですか」という質問をされた。同じクツィイ、2.5歳の猫に対する質問だったが。その時の審査で、クツィイのような品種はカタログに載っていない、つまり存在していないということを言われた。クツィイのためにメスの猫を作ってあげたら、ミニ猫の品種を作れるようになるといった。

クツィイが自分で「遺伝学」を行おうとした。発情期のシムカ(クツィイの母親)がパートナーを求めたとき、ジェントルマンのクツィイは断られなかったようだ。このように、2か月後、4匹の子種、オス3匹とメス1匹が生まれた。女の子は一番小さくて、巻いたしっぽを持っていた。クツィイの将来の彼女ではないかな?ちっちゃな猫をプマと名付け残し、他の「立派なシャム」をまた知り合いにあげたのだ。
1992年この間創立された「スキフ」という猫の愛好会はロストフ・ナ・ドヌ市の初めての猫を評価する展示会を開いた。ブリーダーは20-25人しかいなく、小規模だったのだ。今の展示会と比べたら、「展示会」と言えず、会のパーティーみたいな感じだろう。会長、シドレンコワ・イリーナさんはサンクトペテルブルグのジャッジ、バトコワ・ガリナさんを紹介してくれた。審査を受けるように誘われたとき、クツィイとプマの二匹を連れて行った。猫を机の上に乗せた瞬間に、ジャッジは「何これ?」と言い出しそうな様子だった。そう聞かれる前に「これは大人の猫で、シャムカラーの猫から生まれたのです。」と答えた。会長と話しつけてから、バトコワさんに、もし可能だったら、猫の親も持ってくるように頼まれた。

黙ってじっくりとミシカとシムカを検査してから、もう一度クツィイとプマを見せるように言って、途中で何かのメモしたり、絵を描いたり、長い間いろいろな角度から見ていた。最後にバトコワさんは私にお礼を言い、展示会の後で話すために残るように頼んだ。

「中型どころか、大型の猫から、そんなに小さいクツィイが生まれたのは非常に面白いものですね。それに、小さいプマも生まれたし。もっと頑張らなければなりません。将来、全世界に愛好される品種になったら?そんな可能性があると思います。ですから、品種の名前を作らないと。今からこそ考えた方がいいですよ。」と言った。

種の名前は必ず「ドン」という言葉を含まらなければならないことをすぐに決めた。シドレンコワさんは実験が「スキフ」という愛好会に行うので、「スキフ」という言葉を使えばいいと述べてから、バトコワさんはタイ(シャム)の猫から由来しているということで、「タイ」の言葉も含めて見たら、「スキフ・タイ・ドン」という名前を提案した。その上、初めのスタンダードの原型を作り、この「ロストフ市の奇跡」についてサンクトペテルブルグのジャッジに話してくれることも言った。
1993年春スキフ会は展示する猫の数は前より二倍多く、50匹に達する二回目の展示会を開いた。これは当時にとって大規模の展示会と見られていた。そこでまたロシアの毛のないドンスコイ(ドン・へアレス)を開発し始めたネミキナさんと会った。彼女にジャッジのカツェルさんを紹介してもらったのだ。カツェルさんが強い関心を持ち、猫を検査した。シドレンコワさんに前の展示会で考え出したスタンダードの原型を見せられ、二人で「スキフ・タイ・ドン」という実験中の品種のスタンダードを作成した。展示が終わったら、私とネミキナさんがサンクトペテルブルグの展示会で「スキフ・タイ・ドン」と「ロシアン・へアレス」を見せるために招待された。

この展示会でカツェルさんが国際資格を持っているジャッジ、エメリヤノワ・タマラさんを紹介してくれた。今でもその日が記憶に残っている。誰もいない会場で、ステージを照らす電気だけがついていた。ステージの上にある机のそばに二人の国際レベルのジャッジはクツィイとプマを詳細に検討しながら、ロストフ市で書かれたスタンダードを直していた。

サンクトペテルブルグの後、2ヶ月しか経っていないうちにウクライナのハルキウ市の展示会に行った。あそこで審査を行っていたのは有名な猫の遺伝学者のシュストロワ・イリナさんだった。スタンダードの原型を読んだ上で、熱心にクツィイとプマの審査を始めた。突然にクツィイは自分なりに「ワー」と鳴いてしまった。そばにいた人はみんな顎が落ちた。

犬の 「ワン」ではないが、私の猫は遊んでいる時や何かに夢中になった時に、このような、猫にとって特有ではない独特な鳴き声で鳴く。「面白いですね。」とシュストロワさが言った。「猫も好きでした。カツェルさんと一緒に集まってあなたの猫を育種する近い将来の計画を立てましょう。」

その後、 何回もシュストロワさんと会って、育種に関する相談してくれた。
1993年11月エメリヤノワさんから「最初のロシアの品種の国際展示会」に招待された。

この展示会は話題になり、猫が全国のテレビで放送されたのである。さらに、「レイテル」というイギリスの通信社に全世界のニュースで紹介された。ネミキナさんが「モスコフスキー・コムソモレツ」という新聞の記事を保存したそうだ。

FAR (ロシアの猫の協会)は初めてロシアの品種の展示会を開いた。まだ修理されていない火事で黒くなったベールィ・ドーム(1991年8月クーデター発生した政府庁舎)のそばにあるモスクワの市役所の建物で行った。国は政治的な激変で衰え、人々は窓がまだ板で閉じ込まれていた市役所に可愛い猫ちゃんと出会いの喜びのために来た。家族全員で来ていた。多くのパパたちはなんと千島列島から連れて来られたボブテイルが印象に残ったそうだ。女性たちだと、「ロシアン・へアレス」、毛のないスフィンクスを眺めてああと驚いていた。このような猫が6匹しかいないが、みんなロストフ・ナ・ドヌ市に住んでいるようだ。子供たちは「スキフ・タイ・ドン」という新しい品種の猫を眺めるのをやめられなかった・・。」と述べている。

私の猫が今まで会ったことない数多いジャッジはみんな非常に興味を持ったらしい。WCFのポテヒナさん、モロゾワさんとプチリナさんの審査を受けた。でも、一番大事なのは、この展示会で初めてプロの写真を撮ってくれた。

時間が経つにつれて、猫は繁殖していた。猫が産むときにはほとんど毎回、小さい子猫もあれば、大きいのもあった。生まれたばかりの子猫を見るとき、まずしっぽが気になっていた。どんなしっぽになるのがどうしても予想できなかったからだ。同じしっぽはあまりなかった。(今も同じように、まずしっぽを見てから、性別を見分けるようにしている。)

私が創立した「クツ」の育種所に猫は多くなればなるほど、この新しいミニ猫を買いたい人も増えていった。生まれる猫はみんな小さいわけではないことと、繁殖するのに使わない猫を普通のペットとして飼うためにただであげることを公言した。この猫は大きさ以外に本当の「スキフ・タイ・ドン」と違いが一切なかった。同じように丸くて青い、巨大な目があり、同じ素敵な性格だった。

1993年から1998年にかけて幅広く売るようになり、人が遠いところからでも買うために来ていた。純血種の猫をロシアのモスクワ、サンクトペテルブルグ、クラスノダール、イルクーツク、ペルミ、セヴァストポリ、ペルヴォウラリスク、チェリャビンスク、クラスノウフィムスク 、マグニトゴルスク、アストラハン、リトアニアのカウナス、ウクライナのキエフ、ハルキウ、ドネツク、ベルジャーンシク、ベラルーシのホメリに送ったことがある。
1994年12月ブリーダーとジャッジの定期のセミナーが行われた。ロシア、ウクライナとベラルーシにおける有数の猫を研究する協会の専門家57人と猫の愛好会21会も参加した。このセミナーで、ロシアで開発した品種のスタンダードを決定した。私たちのスタンダードはミロノワさんによって作成され、提示された。同時に、彼女の提案で、言いにくい「スキフ・タイ・ドン」は簡潔できれいな「トイボブ」になった。その時に、タイボブテイルのスタンダードも提示された。今はメコンボブテイルと呼ばれ、エクシナ・リュドミラさんがこの品種の歴史を始めたのだ。
1997年CFA国際ブリード審査員故高野賢治氏は、1990年に初めてこの種の猫を日本に上陸させ、Skif Toy Bobtail(スキフ・トーイ・ボブテイル・スキフトイボブテイルとも言われる)と名付けます。これらを基礎に日本国内ではCFA血統書に準じたJPCU(JAPAN PEDIGREE CAT UNION)血統登録で20数匹のスキフトイボブテイルが記録されている。
※現在でもこの名前は日本獣医師協会が発表する、猫:種類コード表に掲載されています。
1997.1.2
2008年エクシナさんから電話がかかってきて、トイボブの公式的な認定を達成することについて長く話した。彼女はメコンボブテイルの目もトイボブと同じに突き出るようにしたかったことを話してくれた。私が繁殖のために使わなかった大きい猫を使って実験もし、しかし、成功できず、このアイデアをやめたそうだ。面白いことに、ボブテイルの血がある猫の子種には時々、小さい子猫が生まれることもあるといった。
2018年~【ちびちゃんの猫たちは手伝いに行くぞ】
トイボブの社交的な性格、勉強能力と大胆さを考慮して、トイボブはまだ安定していない子供の心理に、特に困難な生活状況に遭った、あるいは身体的や精神的に不自由な子供の心理にいい影響を与えられることを推測した。
ロストフ・ナ・ドヌ市で初めてこのような子供との交流会をやった時に、驚くほどの結果が待っていた。自閉症の子は次の例会に行くように頼んでおり、無口な子は話し出したといった私に限らず子供とその両親にとっていい経験でした。

このような子供との相互作用は専門的な知識や慎重な扱い方を求めるので、この交流会を医者と学者の指導の上で行い、興味のある市民と当局のために地元の報道機関を通じてすべてのイベントについて報告することにした。

何年間もの「キャッツ・プラネータ・ドベーリヤ」(=キャッツ:信用の世界)と「ナシェ・ブレーミャ」(=私たちの時代)という新聞の協力は「ちびちゃんの猫たちは手伝いに行くぞ」という国家プロジェクトにつながった。
キャッツ・プラネータ・ドベーリヤ」(=キャッツ:信用の世界)というNPOの猫癒しのセンターはロシアでユニークな唯一の品種の協会である。その主な目的はトイボブの純血種の猫を繁殖すること、子供との交流のための勉強と交流そのもの、つまり、わざと準備された動物との交流の過程で、不自由な子供を回復と社会化させるその家族への手伝いである。
キャッツ・プラネータ・ドベーリヤ

政府の会議では「ズドロビエ•デチャム」(=子供がお元気に)というプロジェクトを実行する過程で、特別な欲求がある子供の回復や不自由な子供の家族の精神的な支援といった問題が話題になった。国家院の政治家で、会議ですべての賛成された提案は「エディナヤ・ロシア」という政党の係員のグループの中で取り上げられまとめられることを、このプロジェクトの係長、コブゼフ•ユリー氏は、医者、教師、不自由な子供の両親、動物の癒しの専門家といった会議の参加者に、約束した。まとめた上で、法律の訂正が提案される。そうしたら、子供に手伝うために特別に訓練された動物の使用は法的地位を与えられる。


外見と性格

トイボブは、小型、ショートヘア、シャムカラーの猫である。皆のボブテイルと同じく短いしっぽ、そして広大、子供らしく驚きそうな青い目を持っている。現在、一番小さい品種である。しかし、小型であるが、もろくて多病なわけではない。かえって、強くしっかりした体、かなり幅広い胸、短い首、まっすぐな背中を持って、よくバランスの取れた動物だ。足は平均的に長く、丸みの帯びたきれいな肉球がある。

トイボブの子猫の体重は生まれるときに35‐55グラムである。彼らはとても早く社交的になり、お母さんが何をしているかを好奇心で観察し、トイレと爪とぎの使い方とか、そしてもちろん、遊び方といった良い母親だけが教えられることをすべて見習っていく。トイボブは20‐23年間長く生きて、一生子供っぽく遊び好きで、好奇心が強い。有名なことわざ通り、「小さな猫は年を取っても子猫だ」という。ちなみに、トイボブは年を取っても小型であり、成長した雌猫は1.5kgまでで、雄猫は1.8‐2.5kgである。

トイボブは、何の観点から見ても素晴らしい。トイボブは被毛が触り心地よくて、なかなか珍しい。短く、絹のようにさらりとし、少し皮に密着しており、密集した被毛は、お腹のところでもっと長くて柔らかい。目もユニークである。成長したトイボブの猫の目は、大きく、丸く、少し凹凸であり、いつもナイーヴに驚きそうで、しみじみに青い。純血種内のみで繁殖したら、このようなトイボブの目が次の世代に伝達するようにできる。

トイボブの性格について話しかけたら最後、何時間も話せる。トイボブを抱いたら、飽きるまで平気に抱ける。トイボブは決して飽きない。トイボブの猫は驚くほど愛情深く、社交的で、おどけない。大人か子供、犬、猫、ハムスター、モルモット、インコ、何の生物であってもトイボブにとっては友達である。

小型ながらも、トイボブは大胆だ。彼らは、例えばおもちゃを持ってくるなどの簡単なコマンドを実行するように教えるのは簡単だ。子猫は犬の「ワン」に似ている音をして鳴くことができる。成猫の方がかなり無口だが、時々飼い主に自分の存在を宣言することがある。あまりにも好奇心が強いトイボブはいつも知らない人でもお客のお迎えに行ったり、お客が袋やかばんを持っていれば、必ずそこに覗いたりする。トイボブの猫はやはり愛されるために生成されたので、飼い主はできるだけ長い時間トイボブと一緒にいたり、抱いたり、遊んだりしないわけにはいかない。

最後に
30年間にわたって嬉しいこと、嬉しくないことも、おかしいこと、泣くほど悔しいことがあった。本を書けるぐらいだがから、実際に本を書こうと思うことが多い。そうすると、トイボブの愛好者が省略のない歴史を読むことができることがそんな遠い未来ではないかもしれない。考えてみれば、クツィイはロシアのネコ学が誕生した頃に生まれたのである。そして、生年月日にも合図がありそうだ - 1988年8月8日。 だって、8は永遠の象徴で…。

トイボブの日

2020年
8月8日を【トイボブの日】と制定。
トイボブの品種誕生の日である。日本人GOJYUUOU TANAKAの提案がありこれに賛成した。


トイボブの歴史_ウラル編

ITCC(International Toybob Cat Club)

Anna Gromova DVM

インターナショナルトイボブキャットクラブは、ユニークで先天的に体の小さなロシアのトイボブキャットを専門にこの種の保存、促進をしているブリーダーの為のクラブです。
2014年、とても情熱的な数ヵ国のブリーダーが、トイボブのブリードの議長であるロシア人、Anna Gromova DVMからガイダンスを受けながら、トイボブ最初のクラブを作りました。それが、「International Toybob Cat Club」(ITCC)です。
2014年設立し2017年正式に認可されました。


TOYBOB(トイボブ)について

初期記録
トイボブキャットは、世界でも最も小さいと言われる猫種であり、今までに認定されている血統の小型化をしたものではないということを触れておく必要があるでしょう。
この血統は、ロシアを原産とする小型から中型のボブテイルです。

歴史と概要

1983年ロシアロストフ州でElenaKrasnichenko(エレーナ クラスニチェンコ)が野良猫を家に連れて帰ったことが最初と記録されています。
1988年この猫と、ショートテイルでシールポイントを持つメス猫(タイキャットのスタンダードではないと言われている)をブリードしたところ、とても小さなボブテイルが生れ”Kutciy”と名付けられ、後にTOYBOBブリードの基礎となり、当時は「スキフ・タイ・ドン(Skif-Thai-Don),という名で知られるようになりました。
toybob 撮影情報

遺伝子プールの拡大

1999年ロシアウラル地方のAlexis Abramchuk(アレクシス アブラムチャック)氏[Si-Savat cattery]が、この限られたロストフ遺伝子を別の国内猫と交配させることにより拡大を始めました。
隣のスヴェルドロフスク地方でフェデヤヴァの暮らしている通りや納屋でトイボブに共通する表現型のボブテイルキャットが観察されていました。
その地域に生息する土着のネコは体が小さくて、しっぽがよじれているか、ボブテイルでした。
しかし、シールポイント以外の色や模様がありました。
0toybob
0この猫達は、同じような表現型だけでなく、非常に厳しい環境からガッチリしていました。
ウラル地方のブリーダーは、小型サイズの猫を交配し始めた。トイボブが小型のネコという遺伝子の初期の発展をさせ、それが、すばらしい健康状態と、強さを確立させています。
トイボブは、この小さい体で、安定した体重を保つ事が出来るという事で、人々を驚かせるかもしれないです。

LITTLE ANGEL CATTERY(Si-Savat) がトイボブの繁殖をやめた後、Natalia Fedyaeva's,がその繁殖を担いました。ロシアウラル地方のブリーダーにとって、彼女の素晴らしい成果がウラル地方のTOYBOB CATの絶滅を危機から救いました。その地域でさえボブテイルキャットが少なくなっていたからです。
2000年初期フェデヤヴァは、Skif-Thai-Donとその表現型に近い猫を交配させることによりトイボブの遺伝子を広げました。
後にフェデヤヴァは、彼女のトイボブをWCFに認定されていない血統としてのカテゴリーで展示し、トイボブのユニークな遺伝子変異はシャムネコの典型的なシールポイントだけではないということを主張しました。
突然変異については、地域猫の色、模様、毛の長さが入っている。これらは交配プログラムに組み込まれ、それがこの血統のバイタリティーでもあり、この種に活力を与えました。
しかしながらこの結果はウラル地方のスキフ・タイ・ドンの血統を扱うブリーダーとの分裂を引き起こしました。
このブリードは2つのグループに分かれ、この頃フェデヤヴァは、他のウラルブリーダーと一緒に、Skif-Thai-Donを区別するために "Scyth ToyBob"と猫の名前を変更しました。

血統の名前

1トイボブという名前は、2つの意味を持つ言葉からできています。トイは、小さいという意味、サイズを表し、ボブは、ボブテイルを表します。
過去30年の品種開発で発展をとげてきたこの種は、その過程と歴史から色々な名前で呼ばれていました。
以前にも述べたように、このブリードの最初はSkif-Thai-Donと呼ばれ、WCFジャッジでもあるOlga Mironova博士が著書(「ロシアの原生動物猫:Attics and Backyard To World Recognition 2003」)で「TOYBOB」を提案しています。
Skif-Thai-DonはFARUS cat associationでTOYBOBを取得しましたが、この登録以外はSkif-Thai-Donとして引き継がれました。2000年初めの交配計画の主な違いにより、ロストフ地方のSkif-Thai-Don(Skif Toybob)としても知られています)、ウラル地方のScyth Toybobというように2つの地域、2つのグループに分かれお互いに少し違うスタンダードを繁殖させその種を促進しました。
2000年ロシアWCF(World Cat Federation)で暫定品種として注目を集めました。
0WCF
2004年TOYBOBはLITTLE ANGEL CATTERYからアメリカのバーミーズのブリーダーに渡った時に国際的な広がりをみせました。
2008年ウラル地方ScythToybobがTICA(The International Cat Association)に登録をされたことによりTOYBOBとなりました。
2015年MFA、ICUなどの団体でChampionshipが認められ活躍するようになりました。
日本国内五獣王でブリードが始まりました。
2017年TICAでロストフ、ウラルの2つのグループが再び一緒に集まり、品種の正式名称を「TOYBOB」としRegistration only status(登録のみ)の段階となりスタンダードの確立にむけ合意しました。

主な遺伝子の研究

現在、トイボブの研究については、まだ沢山進めなければならない事があります。

トイボブの世界進出と将来

猫の愛好家の間でも、一般の家庭でも、トイボブは、沢山の興味を持たれているという所では、とても成功をしています。
ブリーダーのソーシャルメディアでの露出度も高く、そして、ショーの展示などにおいても、ブリーダーに対する尊敬の意も高くなってきています。

2015年このブリードを海外へ広めました。
現在、トイボブは世界にはとても早いスピードで広がり、ブリーダーのプログラムは、ロシア全体、アメリカ、フランス、スペイン、スウェーデン、ブルガリア、デンマーク、日本、そして、カナダにいたります。

トイは、小さいという意味、サイズを表し、ボブは、ボブテイルを表します。
トイボブは、3−6ヶ月の子猫のような小型の猫です。家猫から発展を遂げた猫です。
彼らは、とてもコンパクトで、強く、筋肉しつな身体を持っています。時々背骨のねじれを持つものもあります。このねじれのあるボブテイルや小型サイズは、ロシアの土着の野良猫の持つ変異です。
人間とトイボブはとても人懐っこい性格を持ち、とても良い性格であると言われています。彼らの小型という体系をも打ち破り、とても活発的で、遊び好きです。


団体・個人解説

CFA(The Cat Fanciers Association)
TICA(The International Cat Association)

高野賢治(生前)

  • CFAオールブリード国際審査員
  • サンフラワーキャットクラブ名誉会長
  • NPOきゃっつ愛理事兼事務長
  • 著書 『猫クラブ アメリカン・ショートヘアー』 『猫の飼い方カラー図鑑』 『猫の- 種類と選び方百科』『猫の教科書』
  • 「タイキャット」「スキフトーイボブテイル」の名付け親

大泉本子

  • TICA ASIA ディレクター 
    2004-2010
    2013-2016

黒田俊一

  • TICA ASIA ディレクター
    2017-